黄ばんだ紙切れ

ミュージカル『刀剣乱舞』〜江水散花雪〜1部の感想

 

こんにちは。千秋楽から一週間以内に書くなんて全然無理だった。
これだけ時間が経っても、ふとした瞬間に思い出してはああもう観られないんだな、と思い知ることを繰り返しています。寂しいね。

 

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本編の感想に入る前に。わたしは今作で触れられた”かつて山姥切国広が隊長の部隊で折れた刀剣男士”を、”放棄された世界に取り残されたミュ本丸の始まりの一振り・歌仙兼定”と解釈して、それを前提に話をしています。
理由は諸々ありますが今のところ一番大きいのは、刀ミュって情報開示に際して必要以上のミスリードはしないんじゃないかな、という個人的な印象。

今後のシリーズ展開によっては普通に全てが頓珍漢になる可能性もありますが、一先ずこのエントリーを読む上でよろしくお願いします。

 

 

 

 

邂逅

大包平、最初の一言から声がデカくて通って最高でした。

心頭滅却すれば火もまた涼し!!!」
「涼しさなんて求めてねーにゃ!!」
南泉と大包平の共通点は、『自分は不当な評価を受けている』って繰り返し主張する男士であること。こんなはずではなかった、何かが違えばもっとっていう現状への不満を隠さない2振りだった。
そういう2振りが、史実よりも輝かしい歴史を歩んだ人間たちを見つめた上で、少なくとも今は”そうならない世界を守る”と決めて、互いを認め合って仲良しになる展開がアツくて大好きです。

それはそれとして子猫並みの喧嘩かわいい。同じ「お前も大きな矛盾を抱えている」ってワードを扱って片や刀としての来し方行く末、片や「厚着しろ」なのとんだギャグ。

そして黒衣小竜。多くは書きませんが、わたしにはあのカラフルな小竜景光に見えました。
本当にありがとうございました。

 

最初の敵との邂逅。この時はすぐに意思疎通してスムーズに役割分担できているからこそ、後のシーンでのまとまらなさが余計に際立つ。

作中最初の戦闘シーンを担う南泉が文字通りの斬り込み隊長でとても良かった。

 

「ア、やはぁ~りい~~!!」
見得は、演技の”流れを止める”技とも言われるそうです。

松陰の策が掃部頭のお眼鏡に適ったことで、歴史は動き出す。

 

 

  • M1 『大河の水面』

流れ行く水を覗き込む
揺らめく己があえなく消えゆく

今作の照明、今まででも一際美しい気がしてすごく好きでした。置き石のような2人と3振りの間をさらさら流れていく水とその中を漂う山姥切とか、刀剣乱舞のラスサビで板の前方にバッと雪花が咲くところとか……どこも綺麗でとてもよかった……

 

明るいのは苦手だ
鏡のように俺を照らし出す

大河の水面に映る俺
保てぬ輪郭 ぼやけて移ろう

丁度いい そのくらいが丁度いい

この曲単体なら、ゲーム通りの”本歌と比較する視線に晒されることを厭う山姥切国広”なのにね。

流れることのない水の中にいるのが誰なのか。”碧眼”の持ち主が誰なのか。
刀ミュの作劇から考えても、助けられなかった仲間はそのことで山姥切を責めたりはしないと思う。だとしたら、水面にその目を思い描いているのは結局自分、ということまでわかっていて敢えてその呪縛から逃れようとしない。

卑屈の方向が一般的に思い描かれる(ような気がする)個体からあまりに倒錯している。

 

「俺が勝手にやったことにする」、采配に対して”ちょっとムッとしちゃう”男士が少なからず出ることに審神者も自覚があって、そして『あの時』が引き起こされた原因もそこにある。のかなあ……

そしてサラッと存在が明かされた長義。まだ本公演に現れていないのに存在が明言されたのって、阿津賀志の安定に続いて2振り目ですね。近いうち、下手したら今年中には現れるんだろうと思いますが一体どうなるやら。

 

どうでもいい話。
場合にもよりますがとてもとても個人的にわたしは本丸の全員が何も疑いなく写しを「山姥切」、本歌を「長義」って呼んでいるとそれは……ちゃんと向き合ったのか……?となってしまうので、もしも今後のミュージカル刀剣乱舞が周囲はどっちのことも基本「山姥切」、当人たちの間だけ「長義」「偽物くん(国広)」にしてくれていたりしたらとても嬉しくなる。もしくはそれに準ずるエピソードや描写を挟んでくれたりしたら嬉しくなる。

 

 

 

潜伏

  • M2 『ひなたぼっこ日和』

こんなにガッツリ組まれたセットが登場したのって結びの響以来でした。直接に物語が繋がっているわけではないのに、端々から過去2作の気配を感じ取ってしまって困る。

 

ぽかぽかでぬくぬくでふわふわな昼下がり
こんな日は縁側で
ふわっふわっふわっふわっふわぁ
ひなたぼっこ日和

初見時、一番キャラクター解釈に面食らったうちの一振りが南泉でした。南泉一文字って戦や人間に対してもっとシビアな見方をする男士だと思っていたので。

それがこう描かれた理由を一言でまとめてしまうなら、『そういう役割だったから』かなと考えています。
幕末天狼傳の感想でも書いたように、刀ミュは互いを呼ぶ”名前”をとても大切に描いていると思う。
今回の南泉は『猫丸』の名を得て”猫を真っ二つに断つ刀”から”平和の象徴たる眠り猫”になった。別名の「ないせんいちもんじ」は「無い戦」に読み替え、「内戦などしている場合ではない!」の言葉を受け入れてしまった。
咄嗟に名付けた大包平は本当にただの戯れのつもりだっただろうけど、ほんの少しの変化が行く末を大きく歪めてしまったんだとしたら、その様子は今作の物語にも重なる。

 

ついでにこれは流石に無茶かな?とも思っていますが、ひなたぼっこ日和≒月が出ていない≒三日月の手が及ばない≒物部が使われない≒悲しい役目を負わされるものがいない、平和で誰もが幸せな世界、ってことだったりするのだろうかとぼんやり。

 

小竜と松陰の「北へ向かうとは言っていたが」で突然の角度からダメージを食らいました。喧嘩が強え奴は北に向かうんだよ……松陰はげろ弱だけど……

 

 

  • M3 『我が水戸学』

Let's study 異国を学べ!
Let's study 敵を知れ!
全てはそこから始まる
Let's get star!

目指せ目指せ対等な関係

この国を思えばこそ
この国を憂えばこそ

刀ミュのこの類の曲のこと大好き😊😊😊😊
正志斎先生に胸倉揺さぶられて放り出される小竜がとてもかわいい。

ハッピーで前向きで愉快なこの曲の学べ!!考えろ!!っていうメッセージが回りまわって後の男士に効いてくるのが好き。

そしてこれは調べている最中に偶然知ったことですが、下戸であった松陰が酔った際の様子を詠んだ「吾頬は桜色にぞなりにけり 春来にけると人や見る覧」という句があるそうです。
これまでの幕末2作で為されてきた”酒を酌み交わすことが関係が一歩進む切っ掛けになる”描写が春の訪れに喩えられるんだと思うと、とても美しい気がする。

 

 

  • M4 『花の雨 君の名残』

花の雨 泣いているのは空か花か
濡れそぼつ君が儚く散って
傘に残さるるは君の名残

咲く君も散る君も艶めかし徒名草
潦浮かぶ筏 君の名残

本当に山姥切国広らしくなくて気が狂う。M1を踏まえたとしても誰かを「潦浮かぶ筏」なんて形容する山姥切国広は知らない。一体何の誰の影響だって言うんですか。

 

個人的今回の”ご本人”枠の肥前くん。
「傘屋で一財産築いちまうかもなァ?」、基本の喋り方に棘があるから気付かずに流しがちだけど、こういう皮肉を言う肥前忠広の存在に時間差でダメージを受けた。元々嫌味や当て擦りは多いにしても、こんな冗談めいた言い回しするんだ……と思ったら衝撃が強すぎて……
そして山姥切が重大なことを言いかけたら、はっとして刀を左に持ち替えるのが本当に良かった。結局言いはしなかったけど。

 

山姥切国広、いずれ水の巡らなくなる世界で傘を張って草鞋を編んで、どういう気持ちで雪に備えていたというのか。

 

松陰と井伊直弼の間、男士たちの間で重ねられる手紙のやり取り。文書は”あとに残ってしまうもの”。コミカルなシーンを通して、どんどん歴史に取り返しがつかなくなっていく。

服部半蔵を名乗った時点で自分がいつか人間を斬ることを覚悟していた石切丸や、敵の潜入状況を見た瞬間に今後の任務を悟った和泉守とは違って、新人たちがまだ考えながら探り探りで任務にあたる様子が端的に練度を表していて気持ちいい。
刀ミュってこういう描写がスマートだよね……

肥前くんが手紙を読んでいるとき、片手でマントを摘まんで広げて優雅に階段を上っていく小竜がとてもかっこよかった。

はっきり確認できたわけじゃないので見落としてるかもしれませんが、裏返したとき客席に見せることになってしまう肥前→国広の2通目と、最後の手紙だけはちゃんと文面があった気がする。綺麗な行書体でプリントされた「返事くらい寄越せタコ」で吹いた。
そしてどうせ返事が来ないと踏んで何の報告でもないただの雑談送ってる肥前くんかわいすぎんか

 

 

「旅は好きですか?」

任務の意味も審神者の意図も図りかねていた小竜が、アイデンティティ依代に松陰に惹かれていく。最後までとても真面目に松陰の従者をこなしていた小竜、ゲームよりも少し柔らかい印象の物腰も相まって、本当にいい子なんだなと思えて大好きになった。

 

 

 

黒船

大包平の大声にビクッとする南泉がかわいい。

山姥切国広にかけられた『呪いよりも厄介なもの』を思って頭を抱えた。幕末天狼傳の回想15(和泉守・長曽祢・堀川)もそうだったけど、原作の回想に独自の文脈を乗せるのが巧すぎる。

 

この黒船のシーン、どういう目的でこの来襲が起こったのかしばらく考えてたんですが今のところ
江水散花雪の歴史は、史実よりも相当早回しで維新が進んでいる
→その一環として、遡行軍が本来よりも早くに黒船を連れてきた(恐らく結びの響の幕府軍のように大勢でアメリカ側の陣営に乗り込んで来航に持ち込んだ)
→このままでは先がどう転ぶかわからないと判断した国広は急いで松陰を呼び寄せ、密航事件も同時に起こすことで歴史の変化をなるだけ抑えようとした。
という補完を勝手にしています。

「何が起きているのかわからない」「闇雲に戦うしか出来なくて不安」という心情を新人組と共有するためか、語られないまま終わるので想像ですが……

 

各々の殺陣の話。今回も固有戦闘BGMがかっこいいわエモいわで、今度こそ久しぶりのサントラを出してほしいんですけど……(毎回言ってる)

ここと冒頭、南泉と大包平の両方に「睨みで敵を怯ませる」描写がありますが、南泉は「メンチ切ってる」、大包平は「威圧」なのが最高だった。南泉は敵を引っ掻く、大包平は踏みつけて高笑いするのも好き。交代時に「ケッ!!」「ふん!!」って互いに煽り合うのも好き。このコンビ好きすぎ。

そして肥前くん超~~~~かっこよかった。若干堀川国広を彷彿とさせるような、暗殺者の殺陣で興奮しました。幕末脇差が大好きなので……。早く真剣乱舞祭で会話してほしい……
でも優等生の面持ちで無駄なく邪道な手法を取る堀川と違って、肥前くんはより泥臭かった。頭から血を被るのも、地べたを転がって土にまみれるのも厭わないような、何ならわざとそうしているような動き。

山姥切国広。いや刀ステ始まったかと思ったわ。
3振りがかりでも敵の数に押される新人たちに対して、一振りでズバーーーーン!!!!と全て蹴散らして助けるのが圧倒的強キャラ描写で気持ち良かった。


それでも劣勢を強いられて、もうこれ以上打つ手がない、と思わされた、

その瞬間。

 

 

 

「よーし、いっちょやってやろうじゃねえか!!」

 

 

  • M5 『答えるための問い』

本当によ!!!!!!!!!!!!!

 

終わるために時代は始まるのか
そうじゃねぇ
崩れるために形作られるのか
そうじゃねぇだろ

そこで生まれるものがある
命だとか想いだとか
そういう大事なもんだ

 

振り落とされた幕。ド派手な照明。爆音のイントロに高らかな第一声の、通り方も大きさも迫力も華も桁違いなんてもんじゃなかった。
そして何より、「現れた瞬間全ての状況をひっくり返す、最高にかっこよくて強くて頼れる」とこれでもかって盛られたハードルを軽々飛び越え、圧倒的な説得力をもって見せつけてくれたその事実があまりにもかっこよすぎる。
””絶対””のかっこよさ、完膚なきまでのスーパーヒーローにまんまと撃ち抜かれた。

 

この世界は巡ってるって言うだろう?

「幾度巡ろうが枯れ果て朽ち行くだけ」

 

理由が欲しいなら探し出すしかねぇ
意味が欲しいなら出来ることをやるしかねぇ

傷をものともせず、誘惑の声も撥ね退けて、「戦いの果てには、終わり行く時代の先には何があるのだろう」っていうシリーズ全てへの答えを引っ提げて帰ってくる。

 

大丈夫だ、己の核はここに在る
それはずっと変わらねぇ!!

ゲームでも、和泉守兼定ってどういうわけだか作品全体の『修行の意味』に言及する。

きっとそういう男なんだと思う。全てを見渡せる一番後ろから何もかもを把握して、分かった上で、終わりの時代の最先端を突っ走る最高にかっこいい刀!!!!!!

 

さぁ戦しようぜ
銃や大砲じゃなく
さぁ戦しようぜ
刀や槍を使った喧嘩だ
さぁ戦しようぜ
互いに譲れねぇもんがあんだよ
さぁ戦しようぜ

ここは刀の戦場だ

出陣決定ボイスと掛け合わせたのか、元となっている出陣ボイス「さぁ、戦しようぜ。銃や大砲じゃなく、刀や槍を使った戦を!」とは少しだけ異なり、戦のことを「喧嘩」と呼ぶところが大好きです。冒頭の松陰が発した「江戸の華ですね!」との目配せも綺麗。
華と実は別々の要素ではない。実こそが華、そしてそのどっちもを備えているって表明だと思う。

先の出陣で自分が刀であることを真に誇りに思えるようになった和泉守兼定が「ここは刀の戦場だ」って吠えるのが、この世で一番かっこよかった。

 

ずっとこの最高の登場に対して、待ってました!!!!!って大向こうを入れたくて入れたくて仕方なかった。

 

 

敵は退けたものの、状況が呑み込めずに困惑する新人たち。
を笑かして見せる和泉守兼定が流石にかっこよすぎた。前の出陣では何も言わない陸奥守吉行にずっとイライライライラしてたのに、今度は同じく何も語らない山姥切国広のことを笑い飛ばしてムカつく相手の良いところを真似られるの、なんてかっこいい男なんだ………………になる。
ただ常にかっこよくいるだけでなくて、必要があればいくらでもかっこ悪くもなれるということは一番かっこいいことだと思う。

新撰組の刀って和泉守兼定のかっこよくないところ(それ故に美しいところ)を知っているので、かっこつけてるとうわ!!笑みたいな反応をするし何かと茶化されておちょくられることでこの刀にも可愛げが見える。それに全員がお揃いの翳りを抱えているが故に言わなくても通じ合ってしまう側面が大きすぎるわけですけど。
その翳りを知らない、見せられたことのない周囲ははなから和泉守兼定のことをかっこいい男だと捉えているので、誰もあのかっこよさを止める人がおらずブイブイ言わせてしまった結果こんな仕上がりになっている。とんでもないことだよ

 

「古株なんだろう?山姥切国広って」
「だとしたらそんなに間違ったことも言わないんじゃないかな」
パライソの浦島が長曽祢虎徹に言われたという「三日月と鶴丸は古参だから信用しろ」と重なる台詞。
長曽祢にそんなことを言うほどの三日月や鶴丸との深い繋がりは今まで描かれてこなかったのでかなり面喰らいましたが、そこに関することもいずれ明かされるんでしょう。きっと。

 

 

  • M6 『古池の水面』

先に書いたことともつながるけど、江水散花雪では思わせぶりに浮かぶ三日月は現れなかった。その代わりに浮かぶ満月。

満月と言えば、思い出されるのは小狐幻影抄ですけど。

 

石一つで生まれる波紋
風吹かずとも生まれる細波
何が変わる?
何かが変わる

波打つ水面に映る俺
不確かな輪郭
だとしてもこれは俺だ
だからこそ俺は俺だ

この辺りはまだ考え中なので追々書き足すと思います。
蛙の代わりに投げ込まれる石。
蛙は大海の中の、考える力を持った、些末な存在。
『いびつないし』。あたり。

 

下手セット上から現れて声をかける、その一連の演出で沈んだ星を思い出してしまい感情がめちゃくちゃになった。
成長して強く大きくなって帰ってきても、幕末天狼傳の和泉守兼定で一番かっこよかったあのシーンから芯は何も変わっていない、と示された気がした。

その和泉守の言う通り、安定でも堀川でも長曽祢でも同じように駆けつけただろう、っていうのは想像に難くない。でもどのシーンについても、ああいう言い方や行動をとってこの物語を作ることができたのは和泉守兼定だけで、山姥切国広はどうして強いのか見当を付けられるのも和泉守だけだったと思う。
例えば長曽祢だったらこんな風に山姥切国広と友達のような距離感で腹を探れたかは分からないし、安定や堀川が大包平にああいう貸しを作れたかも想像がつかない。「遡行軍を一喝して従わせる」が出来るのは確実に和泉守だけ。歴史は同じ道筋を辿ったとしても、物語としてはまるで違うものになっていただろうと思う。
そういう、一振り一振りに”この編成じゃなければならなかった意味”を持たせてくれる刀ミュの作劇が大好き。

「お前が来るとは思わなかった」、じゃあ誰を想定してたんだ?と思うと、やっぱり堀川国広なんだろうか。M1と合わせても、この歌詞でどうしても思い出されてしまうのが『ここにあるもの』。
この本丸の堀川派、数少ない明かされた情報から見るに決して関係は悪くなさそうなのに、そこから”この状態の山姥切国広”だけが浮いてみえる。あれだけお節介強引個体の兄弟がいて何がどうしてこんなことに……

 

「あいつらのことを頼む」
今作のこの先輩2振りって、パライソの鶴丸と大俱利伽羅だなと思います。自分が反感を集めるのはわかっていて、言葉がなくともそのフォローを任せられる関係。山姥切国広は和泉守兼定のなんなんだよ(謎の感情)

でも伊達と違うのは、鶴丸は自分が倒れかけた時は伽羅坊が立たせてくれるということまで想定して信頼している。山姥切国広は、後始末に自分を勘定していない。その違いが年の功で、この刀の”拗らせ”なのかなあ。

 

 

待機

  • M7 『昼下がりの雷鳴』

新人トリオかわいすぎ

大地踏み締める2本の足
揺るがぬ覚悟 俺の真価見せてやろう

大地流離う2本の足
追いかけるのも追われるのも悪くないね

かわいいけど意味を考えると真顔になっちゃう

今作、黒船騒動以降敵の動きは一度もない。
遡行軍がやったのは、松陰と井伊直弼を一所に引き合わせること、黒船を動かすことの二つだけ。
何年もひたすら待機を続ける中で、前にも増して南泉は戦っ気が抜けていく。おっさんと仲良くなる。雷雲も有耶無耶にしてしまう眠猫になる。
「大の字ごろり」内戦は防がねばならぬ、という大次朗の言も受けて、”戦が無いことを望む”、そういう物語を背負っていく。

 

「草鞋編みだろうな」、肥前くんの包帯をするっと撫でた回があったのが!!!!!めちゃめちゃかっこよくて!!!!!!どうしてあれが世に残らない!!!!!!!!

 

今回一番ほのぼのした数少ない日替わりシーンで、最後の真に平和な瞬間。

その裏で誰にも語らず決意を新たにする和泉守兼定がかなしくて、強くて、やっぱりかっこいい。

 

 

  • M8 『散る花を』

具に見てきた 刀の時代の終わりを
新しい感情は湧かなかった
オレはそれを既に見ていたから
見届けていたから

「呆気なかった」
敢えて言うならそれが新しい感情だ

……向き合うべきところはそこじゃなかった

 

「今、オレの目の前で、 圡方が死んだ。」

 

和泉守兼定の手紙。
この空白と、「圡方」を思うたびに、堪らない気持ちになる。

あの人が生きていたら、って零しながらあの人を斬った、最期まで一緒にいられなかった自分自身に落とす視線が遣り切れなかった。

 

好きだから
美しいと思うから
きっと世界を変えてしまうような何かを
成し遂げる筈だと
そう思いてぇけど

その視線をすっと上げて、うって変わった優しい旋律に合わせるように、雲が晴れるようにセットが開けていく演出が大好きだった。

守りたい理由を問われて「好きだから」って答える、その精神性が何よりもかっこいい。今まで問いに直面したものたちの答えはみんな、「それがあなただから」とか「その先に続くものがあるから」とか使命や役割が前に立った言い方だったのに、このあまりに身勝手で、馬鹿正直な言い分。
だった、ですらない。和泉守兼定って、土方歳三のことがすきなんだよ。美しいって思ってるんだよ。

結びの響以前の和泉守だったらきっと、それよりも前に憧れや後悔や色んな感情が来てしまって、ここまですっぱり「好きだから」とは言えなかったんじゃないか、という気がします。
それは成長なんだろうしとても眩しい変化だけど、何となく寂しい。

 

そして他メディアに目を向けた時、花丸12話清光の「好きだもん、俺だって」や活撃9話陸奥守の「わしは、おまんの生き様が好きやき」を思い出してしまう。
幕末の刀ってどこでもそう。

 

江戸で芽を吹き
京の都で咲き誇り
北の大地で散った一輪の花

新選組のテーマ』に乗せて、この世界にはもういない新撰組だったあの人を想いながら、スモークと照明が生み出す紫の雲の上を見ていた光景が、忘れられないくらい綺麗だった。

 

想像する 歴史が変わることを
想像する あの人がより輝く世界を

どうすればそうなる どうしたらそうなる
想像するんだ!

想像して、想像して、想像して、想像して
想像して、想像して、想像して!

 

そうならない世界を
そうならない歴史を守る

2部や祭でどれだけ愛してるだ恋だ永遠だって言われたところで、これが一番のラブソングだって思った。

東京心覚を見たとき、蓮、竜胆、葵、都忘れ、鳥兜、山吹、桔梗とこれまで事あるごとに刀ミュで描かれてきた花が並べ立てられ、降り注ぐ中で、幕末にだけ花が描かれないのはなんでだろうってずっと考えていました。幕末天狼傳再演っていう絶好の機会もあったのに、梅なり木瓜なりやろうと思えばいくらでもできたはずなのに、敢えてそれをしないのはどうしてだったのか。
それこそ幕末を生きるものたちが空から目を離さないから、既に泥濘んだ足元を顧みることをしないからかなあとか、いろいろ考えたんですが。

示された答えは、咲き誇る前に散っていくから。それを愛してるから、だなんて。

 

見果てぬ浅葱色の桜。輝いてすぐに散る花火。枯れ木に積もる牡丹雪。
髪に降り泥む霜は、手に取ればその熱で消えてしまう。

それでも確かに、美しかったと。

 

奪うな
オレからあの人を

「終わりの音がする」と同じ旋律が裏に流れる中での、突き刺すような、呻きのような言葉。
初めて観た瞬間、『怒り』に思えた。

 

今回一度も、名前すら登場しないのにどうしてこんなに土方歳三のことが好きになっているのか。

全部、髙木さんのお陰だなと思います。
幕末天狼傳と結びの響始まりの音を、あの土方歳三をわたしたちは一緒に見てしまっているから。好ましい、うつくしかった、って感情を少なからず共有できてしまうから。

350年経ってもあなたのことを好きだ、美しいって言ってるものがいるよ、の気持ちになる。
もちろん次元は和泉守兼定土方歳三の話だけど、あの愛を受け取っていいのも受け取れるのも世界で髙木さんだけだ、と思う。

 

そして、通常多くの演目では既存の曲があてがわれるのに対して、オリジナル作はその演者のために曲が書かれると言っても過言ではないから当たり前と言えば当たり前のことですが。やっぱりミュージカル刀剣乱舞が一番有澤さんの歌の最強なとこの引き出し方わかってるな……と思います。M5もM8も、”歌い上げる”曲としては歴代屈指レベルで最高にかっこいい曲貰ってるなと感じる。
すごくすごく個人的な意見ですが、せっかく有澤さんが歌うことが分かってるなら、絶対ロングトーンが多くて低音響かせて高音張る曲じゃなきゃもったいないと思っています。そこを的確に抑えてきてくれるのが、やっぱり天才の采配だな……

 

 

 

歪み

『散るは火の花』を思わせる、一曲の中でのめくるめく時代の流れ。見応えが圧倒的だった。
本当に好きこのシーン

 

  • M9 『不正』

これまでの幕末2作はそもそも歴史の流れを理解してるメンバーが多数派の部隊ばかりで、その中で敢えて和泉守が説明役に回ることってなかった。
「幕府側の事情に詳しい奴」として呼ばれている以上これこそが役割なんだけど、めちゃくちゃ新鮮に感じた。

 

この弾圧こそ安政の大獄
粛清の名の下奪われた命
散った憂国の士

彦根藩の行列を襲撃
名残雪の絨毯を染めた井伊の朱き血
この暗殺こそ桜田門外の変

それが正しい流れ 正しい歴史

……ところが!

186㎝(設定)から174cm(設定)の南泉を見下ろす圧が鳥肌立つくらい好き。

そして、黒子が面布と黒衣を脱ぎ捨てた瞬間始まる”歴史の巻き戻し”。最高にかっこよくて、圧巻だった。

 

ああ それは歪み
日出ずる国よ

ああ それは歪み
明るき未来よ

安政の大獄桜田門外の変も起きない
起きることはない
正しからざる流れ
正しからざる歴史

先にも書いた、天狼傳結びの響といつも相容れない誰かと誰かを繋ぐ場として描かれてきた"酒を酌み交わす"描写が、あれはひずみ、あれはゆがみ、と明確に否定される。

打ち鳴らされる拍子木、雪籠、定式幕に見立てられたセット。
をぶち込んでくる鯔背っぷりに完全に惚れてしまって困った……

 

 

「良いことだにゃ~!」
今回南泉を筆頭に、誰かの発言にせーのでずっこける描写が何度もありました。そういうところも、この江水散花雪のコミカルさというか、少年漫画的な痛快さに一役買っているのかなと思う。

「どうすっかねえ、この歴史」。今回の和泉守は、自分から案を出したり部隊を動かすことはまずない。悩んで迷う新人たちに問いを提示して見守る、それが増援として送られた自分の役割だと理解している。

これでいいのか?協力し合うべきでは?って問い続ける大包平に、お前は、隊長はそれでいいって笑う和泉守がかっこよすぎてまた頭を抱えた。"副長の刀"なんだよな……
本当にミュージカル刀剣乱舞の「話さない」男たちは全員蜂須賀と大包平にぶん殴られてしまえと思っているので、和泉守兼定が下につくと決めた男がそういう2振りなのサイコーなんですよね……

新撰組の戦い方」も、独りで苦しんできた刀も、勝手にいなくなりかけた相棒も、重荷を肩代わりした刀のことも知っている和泉守は、仲間の繋がりがどれだけ大事なものなのか重々承知してる。同時に、一人で己に向き合わなければならないことの意味も知ってる。
それを併せ吞んだ上でこの部隊の在り方を肯定するの、ちょっとかっこいいが過ぎる。困る。

 

 

丁々発止の前で小竜が読んだ松陰の手記をここで全部説明してくれるの優しいよね
「おっさんが嬉しいと、オレも嬉しいからよ」猫丸のあまりの素直さにぼろぼろ泣いた。

この歴史が三百年と葵咲の部隊が出陣した世界線と直結しているのかは分からないけど、どちらにしてもこの世界の直政公は子守唄の流れる世を望んだ。
ミュージカル刀剣乱舞に、戦を望んでいる人間なんて誰もいない。誰もが良い世の中を、平和な世を望んでいる。

「おいしい茶菓子があるのだがな!」
そしてそれはきっと、三日月も一緒。

それはそんなにいけないことなのか?と問う純朴な感情を、間違っていると断じることなんて誰もできない。

 

 

全国民に開かれた松下学問所。東京京都早稲田慶應上智大学みたいな学校byフォロワーが忘れられん
穢多すらも権利を肯定される、あり得ないほどいい方向に転がっていく世界。

「どうして吉田松陰なんだ?井伊直弼じゃなくて」
視点を変えたら、本当は争う理由なんてない。
歴史修正主義者の”視点”が描かれる日も来るんだろうか。

背後で流れるM14。
「江水散花雪」は、作中の小竜が綴り続けた「井伊直弼の物語」なんだと思う。

 

刀ミュではいつも、戦の道具である刀たちが『戦いの不要さ』を人間から学んでいく。それを優しいメッセージだと思えてしまうのはわたしが人間だからではないか、男士たちにとってこんなに悲しいこともないんじゃないかといつも思う。

 

 

清河八郎の一行を斬る肥前

肥前くんの、「人斬りは楽しいかい?」の言い方が公演途中でがらっと変わったことが忘れられない。
初めはもっと和泉守の言い振りを真似るような、糾弾(と捉えたもの)に対して煽り返すことに重きが置かれたような語調だった。それが途中から言い回しが変わったことで、何ら躊躇うことなく人を斬るように見える和泉守を、土方歳三を責め立てるようなニュアンスが強くなった。肥前くんは、「斬りてぇわけじゃねえ」から。

「それがお前の選んだやり方かい」
和泉守が、ずっとおれは着いてきただけ、従っただけの立ち位置を取る肥前くんに”選ぶ”ことの意味と責任を示す。
あんま無理すんなよ、って軽い感じで言った裏に、「それが役目だって胸張れんなら」って声が聞こえる気がしてならなかった。

 

  • M10 『人知れず』

選んだ訳でも辿り着いた訳でも無い
斬ることが おれの仕事だ それだけだ

提灯が表す、肥前くんがこの歴史上で”天誅”を下してきた人間たちが誰なのか調べているところです。
今のところ名前が出ているのは、梅田雲浜長井雅楽橋本左内・平岡円四郎・真木和泉、そして本間精一郎・平野屋寿三郎と煎餅屋半兵衛。後半は特に不確かですが……
推測に推測を重ねる形ですが、岡田以蔵が斬ったはずの人間、暗殺されているべき人間に加えて、安政の大獄で処分されるべきだった人間も始末していたのかもしれない。

 

血に濡れ 怪しく光る刀身
澄んだ空さえ赤く濁す

出たよ刀ミュの辞世の句踏襲シリーズ(言い方)*1
肥前くんは自分の行動が岡田以蔵亡き後の世界を、最期の思いを濁すものだと思ってるんだろうか。

 

まるで人斬り
まるで かつての……

長曽祢も安定もかつての主に似てると言われてあんなに嬉しそうだったのに、どうして肥前くんだけこんな思いをしてるの

 

 

雪への備えだった傘と草鞋はまだ間接的だったのに、浮世絵はもう直球で”江水散花雪”じゃないですか

山姥切のもとを訪れるこのシーンの大包平まじで大好きポイントが多すぎる。
・「失礼する」
・しっかり頭下げて扉くぐる
・脱いだ靴は揃える
・散らばってる浮世絵も拾い集めて揃える
・それをちゃんと机に置く
・「不本意だが!!!!!!!!!」
・それまで背を向けていたのに隊長に必要なこと、で両膝をついて話を聞く
までの一連の所作の何もかもが大好きで、まじで大包平、最高の男…………

たとえそれが不本意でも全てをド直球で訊いて何一つ隠しだてしない大包平は、きっと修行前の和泉守兼定なんだと思う。
その大包平を信じて判断を任せられる和泉守は、本当に成長したんだなぁ
刀剣乱舞の修行の目標というかテーマは、『今の自分を肯定できるようになる』ということだと思うから。

「あいつならそう言うだろうなあ」だからお前は和泉守兼定のなんなんだ(2回目)

 

 

「無神経な馬鹿ほど強ぇからねぇ」

再び”天誅”を続ける肥前くんの標的は、きっと勝海舟ではなかったと思う。
はなから狙いは明治まで生きて病死した勝海舟じゃなくて、『維新の前に死んでいるべき人間』の、岡田以蔵
その肥前すら至近距離で顔を見るまで気付けないほど、この世界の岡田以蔵はまるで別人だったのかな、と思う。

「やめろその喋り方!!」「あんたはそんなんじゃねえ!!!」
何をどうしたらそんな酷い展開が思い付くんだと思ったけど、義経公と今剣の時から何も変わってない。ミュージカル刀剣乱舞の描く一貫性があまりにも美しくてつらい。

「人を斬って何になるというのです!!」
こんなに真正面からアイデンティティぶち壊されることあるか

 

 

 

放棄

驚くくらい順調に成された"慶応維新"。
「失われちまった歴史ばっかりだ」
当たり前みたいに言ってるけど、戊辰戦争もなくなっている。そのことを当たり前みたいに受け止めてみせるから、見ているこっちが苦しい。

ええじゃないかの基本的な歌詞ってあるんですかね。
「水が甘けりゃええじゃないか」「泳いで渡りゃええじゃないか」「~~雨降りゃええじゃないか」とだけ聞き取れました。

 

 

そして。

「溜め池みたいなもんが出来上がるってことか!?」
ゲームに後から追加された『放棄された世界』の概念を、刀ミュが今まで重ねてきた歴史の概念に当てはめるやり方が見事だった。

刀ミュ史上、初めての負け戦がここで確定する。
もうこの世界には存在しない、失われてしまった歴史の絵を撒き散らして去っていく山姥切国広、祈りかなと思った。

 

「また皆好き勝手に……!」
傍から見ていればずっとまとまらないのは各々が自分の役割を探し続けている、どうにか状況を打破しようと藻掻いているからで、そのやり方がどうにも不器用なところこそがこの部隊の特性なんだなあと思えて愛しい。そしてそれは歴史の中で違う立場を生きる人間たちとも同じ。
でもまあ振り回され続ける大包平は堪ったもんじゃないよね

「山姥切探してきてくれねぇか」
ずっと新人たちが何を考え、何を選ぶのか傍観しているだけだった和泉守が、初めて明確に”指示”を出す。それでも隊長を立てる体は崩さないところがすごく好き。
和泉守がこれまでに”立派な隊長”として認めてきた刀、どちらも真面目で愚直で清廉で、芯の芯から美しい。

そして大包平が走り去って、一振りになったところで初めて人間だったものに刀を向ける。
あの人に握られることのなかった世界で拳に唾を吐き掛けて見せる和泉守兼定、忠誠だなって思ってしまった。

 

 

山姥切を見つけた瞬間「いたぁ!!!!!」って言う大包平、本当に健やか。
相手がどれだけ煙に巻こうとしても、「だったらそう言え!!!」「わからん!!!」「言葉にしろ!!!!」って吠えてくれる気持ちの良さ。
「性格が暗い!!」も「世の中はみな間違っている!!!!!」も、観ていて募るもやもやを全部大包平が代わりに叫んでくれる。最高。好きになるしかない

「貴方のそういうところが嫌いなんです!」と言い「しゃらくせぇって伝えてくんな!」と言い松井の拳と言いカタルシスとヘイトコントロールに定評のある刀ミュくんですけど、大包平はそういう不満の爆発すらなぜか負の方向に行かない。パワーがすごい。

 

 

肥前くんが人でなくなった岡田以蔵を目にした瞬間の表情。意図的に隠されていたのかわたしの位置取りが悪かったのか、結局あまりはっきり見られたわけではないんですけど。
ぐちゃぐちゃに何かが溢れてしまったような時もあれば、ほとんど温度のない時もあった、ような気がする。

「どっちがいいんだ!!」
以蔵を刺しながら自らも刺される肥前くんの、それ以上に痛そうな顔と声が、今までの公演で見てきたいくつもの姿に重なってしまってつらい。

この歴史の岡田以蔵が差していたのは肥前忠広ではなかったかもしれない。もしくは大切に扱われ、人を斬ることも折れることもなかった肥前忠広だったかもしれない。
でも自我を失った以蔵が最期にその刀を取り戻したとき安心したように目を閉じた姿を見て一体どんな気持ちだったかって どうしても考えてしまう。

 

 

ほらよ、って人間の頭に鉈を振り下ろす和泉守が恐くて美しくて泣いちゃった

 

和泉守兼定の、相手に求められているもの、ではなく相手に必要なものを的確に与えられるところを本当にかっこいいと思っています。
その観察眼も冷静さも厳しさも優しさも。

何もかも本当にずるかった。

「オレは泣いたぜ。一回だけな」
こんなにも強くてかっこよくて、それなのに仲間のために隙を晒せることは、ひょっとしたら何よりも格好良くないですか

肥前忠広には代わりに引き金を引いてくれる相手はいなかったし、岡田以蔵でなくなった岡田以蔵肥前自身の手で斬らなきゃいけなかった。対して結びの響の和泉守兼定は、”仲間がいるから”泣くことができた男だった。
それが今巡り巡って、「人知れず斬るのがおれの役割」と言う肥前忠広の肩を抱いて、泣けよ、って言ったこと。
きっと和泉守は、仲間にそうしてもらえて嬉しかったんじゃないかと思う。
悲しみに寄り添うことも、抱きしめることも、きっと和泉守がしてもらえて嬉しかったこと。

与えられた優しさを更に他者へ伝えていける真っ当さと、それを受け取れる素直さ、自分できっちり区切りをつけて自分の足で歩き出す意志のどれもが眩しくて、本当に、美しかった。

 

ここからは感想ではなく妄想の域。

わかんねぇだろ、その気持ち、って笑った和泉守兼定
誰にも言わずに、土方歳三を斬りに行ったりしましたか。
薬屋として大成功した。刀を握らなかった。自分に出会わなかった土方歳三を見物に行った時には、もうわかってたわけじゃないですか。その人がこれから”どう”なるのか。
正史とは全く違う道を歩んで最早別人だけど、それでも確かに大好きなあの人と同じ命をした幸せそうな人間を。正気も誇りも失って人ですらなくなったその人を、もしかしたら近藤勇沖田総司も試衛館門弟たちも。
かつては出来ませんと言って泣いたのに。

まるで根拠のないただの妄想ですけど。
そんなことが起こっていたとしたら、この部隊は隊長の大包平以外全員が大切な人間を自ら斬ったことになるんですよね。
でも、もしそうだったとして、それでも和泉守兼定が泣いたのは「一回だけ」なんでしょ

 

江水散花雪で和泉守兼定の強さを見せられるたび、どうしてそんなこと言うんだ、なんでそんなことできるんだ、ってなってしまう。あの刀がこれまでに歩んできた過程を目にしているので。
でも悲しみってもんを抱えれば抱えるほど強くなるって他でもない本刃がシリーズ最初でとっくに答えを提示しているのでこの話は終わりです

 

 

「貴様を超える!!!!」
この大包平の清々しいまでの真っ直ぐさ。
「何か理由あってのことなのか」
こう言える優しさ。
それなのに、目指した目標に一瞬で梯子を外される気持ちが。わかってるんだろうな山姥切国広………………

「強え奴は、強くならざるを得なかったから強えんだ」
「人間で言うところの、悲しみってもんを抱えれば抱えるほど強くなんだよ」
幕末天狼傳からパライソへ通じて導かれたこの言葉が、音もなくかかってくる。
桁外れに強い山姥切国広が抱えた、途方もないかなしみ。

そして、江水散花雪の『大包平が選ばれた意味』。太陽みたいな男士なら他にもいる中で、刀ミュが大包平を選んだ理由。”強く美しく誇り高く、雅を解する馬鹿力の、蝶を背負った男”。

勿論その構図だけでなく、この大包平の衒いなさは絶対に色んなものを抱えてしまう、抱えなくてはならない作中の刀たちにとっての救いになっていると思う。

 

 

おっさんの手を引いて閉ざされた世界の中を逃げる南泉に、慶長熊本の地蔵くんのことを思い出した。
背後の劇伴。明るく幸溢れる正しからざる歴史、その末路がこれ。

本来「俺は人を選ぶんだ」と堂々言い放つ小竜が、年単位で先生と呼んで付き従ってきたことを思うと。これまでの出陣で、何振りもの刀が3時間かけてじっくり向き合って吞み込んできたものを、このスピード感で負わせるの酷すぎる。

そして松陰を斬った小竜が、南泉の顔を見たことで井伊直弼には刀を向けられなくなってしまう。本当に南泉のためになるのがどっちかわからないから。
江水散花雪で徹底される個人主義の根底は、きっとそういう優しさだと思う。

 

「あれはもう井伊直弼じゃねえ」って現実に、嫌だ、それでも、って抵抗する姿が阿津賀志の今剣とオーバーラップした。
そしてつい数分前にどうにか立ち上がったばかりの肥前くんにそれを言う役目を負わせるの。酷い。

ここまで一度もその名前を口にしなかった南泉が、一回だけ「山姥切!!!」と呼んで縋る。
そう名乗るものなら、みたいな意味があったりなかったりしないかな。

「いい世界だったじゃねえか……!」
生きるべき人間が殺されたわけでも、結ばれるべき絆が断たれたわけでもない。
ただ二人が出会っただけなのに。それだけのことで全部が否定されるなんて、受け入れられるわけないんだよな。
南泉が傷付けられた瞬間飛び出そうとする大包平肥前、それを止める和泉守と山姥切。どっちも優しいと思う。

そして南泉とは対照的に、誰も見ていないところでふらふらと姿を消す小竜。
一振りで整理してもいいから、せめて傷ついてることくらい教えてほしい。

 

井伊直弼を斬ることを選んだ瞬間、南泉はもう眠り猫ではなくなる。
「猫丸」と呼び続けるおっさんを喪って、「南泉一文字」に戻る。

 

「正しいってなんだよ」
「わからねえ。だからオレたちはそれを知らなくちゃならねえ」
今作の中で一番好きな会話。

パライソと江水散花雪は、対を成す物語として作られていると思う。
刀帳順でない香盤。支える・支えられるの役割分担が綺麗だったパライソと、”個”を描き続ける江水散花雪。守らなければならない惨劇と、壊さなければならない平穏。
パライソのコピーは『これが、彼らの日常 これが、彼らの戦い』。

でも必要なことを学んで、やるべきことを考えて、生き続けさえすれば、いつか必ず良い世界になるって人間たちが証明してくれている。
そして自我を、考え、選ぶ力を奪われるということがどれだけ悲惨なのかも。

この世界の命は殺されるために生きたのか?
この歴史は崩れるために作られたのか?
背後で流れていたM5の、『命だとか想いだとか』のメロディが「オレずっと覚えとくから」に重なる。
全ての人に忘れられるどころか歴史ごと無かったことにされても、確かにあの世界で南泉にとって井伊直弼は「おっさん」で、小竜にとって吉田松陰は「先生」だった。
南泉は「おっさん」のあたたかいてのひらをきっとずっとおぼえている。

歴史が正しく流れなければ、松陰が松陰のまま、井伊直弼井伊直弼のまま殺されなければ、芳年が”江水散花雪”を描くこともない。

 

ずっとばらばらだった部隊がようやく『まとまる時』を迎えて、初めて「「応!!!」」の声が重なる。

 

 

 

脱出

一度まとまったらもうそこからの連携は獣の群れたる新撰組にも引けを取らなかった。
先の撤退と全く同じ構図。だけど今度は6振り全員揃ってるっていうだけで最高に熱い。
肥前くんが直前のシーンを受けて「やってみるしかねえ!!」の精神になるのも熱かった。

ここまでで既に相当少年漫画だったのに、窮地で敵と協力の展開は流石に週刊少年刀剣乱舞過ぎませんか?
打刀・太刀・薙刀の三人組を殴り飛ばして、太刀の首根っこ掴んで「今は猫の手も借りてぇ時なんだよ」って言って、最後には一喝で従わせて「それでいい」って笑って見せる。
そんなに何もかもで思い出させないでくれ

先陣を切る案内役、傷付いた自分が優先して逃がされることを素直に受容できる新人、全部を見渡せる真ん中に立ち、隊長を信じて殿を預ける補佐役。
この部隊の中での己の役割を全員が見つけたから、脱出の順番にも誰も口を挟まなかった、のに。

 

 

「いい隊長になれよ!」

 

楽日になって初めて、ここで笑わない山姥切国広を見た。

 

 

散るひとひら ひとひら
同じ花はない

枝と分かれ空に舞う 美しさはそこまで
散り落ちて池に浮かび
瞬く間に朽ちていく
醜く 儚く

堰き止められていた感情が、溢れ出し、渦を巻く。和田さんの書くメロディは、映像が浮かぶようだなといつも思う。
紙の譜面に起こせばきっと見た目にも美しいんだろうなって。

 

聞かせてほしい どんな風に生きてきた?
恋焦がれた夜 夢語った時代

絶命の声は何故産声に似ているのか

何一つ語らなかった山姥切国広がその内に何を抱えていたのか。なぜここまであの世界の人間とも一切関わってこなかったのか。なぜ一人になりたがるのか。
その答えが無数の命への愛だなんて、あまりにも美しくてかなしい。

「ただの数字じゃねえんだ……それぞれ命があったんだ!!生きていたんだ!!」

 

俺も、そのひとひら

襲い来るものたちを前に刀を納めた山姥切国広を照らす白い照明が、歌合で見た顕現の光と似て見えた。

 

まさかこれで終幕なんてことは、って本気で思った。

 

 

「許さんぞ!!!山姥切国広!!!!!!!」

 

まじのガッツポーズしちゃった

声が聞こえて、壁の向こうから光が射してシルエットが見えた瞬間、救いってこのことだ、と思った。
俺のようになるな、と言っておきながら仲間に自分と同じ傷を残していくなら本当の馬鹿野郎だ!!!!!!!!!!!と思って観ていたから、何もかも丸ごと跳ね返してくれた大包平の存在が眩しすぎた。

 

仲間を生かして一人死ぬ。幕末天狼傳の近藤勇であり、結びの響始まりの音の土方歳三と全く同じ構図を辿ろうとした山姥切国広を今度こそ助け出し一緒に帰れたことは、間接的に幕末の刀への救いにもなるんじゃないかと思う。
『全員無事に連れて帰る』という役割を負った隊長がいて、命の使い道を見つけたわけでもなく望みどおりに死なせてもらえるほど世界は甘くなかったんだな、とも。

立ち上がってよろけた山姥切国広が和泉守兼定に支えられた後、やめろよ……みたいな感じでちょっと笑いながら突き離すのが好きすぎてじゃばじゃば泣いた。

 

山姥切を含むこの本丸の古参が抱えた事情について。今回だけ見ると和泉守は知っていてもおかしくなさそうだけど、前作二つを踏まえるとやっぱり知らないって考えるのが無難かなと思う。
つまりあの和泉守兼定は、仲良しの山姥切国広が何かはわからないけど何かを抱えていることは察していて特にそのことには触れず気取らせもせず、「あいつらを頼む」の一言でああこいつオレに後を任せて碌でもねえことする気だなってことにも気付いた上で、敢えて自分では止めず大包平の気質を信じて押し付けてあたかも自分は何もしてねえみたいな顔で結末を迎えている
本当に何

 

幕末の刀かのような馬鹿正直で飾らない魂を持った、平安刀の大包平。だけど唯一若者たちと違うのは、初めっから”逃げる”という選択肢を持っていること。
最初の交戦からずっと逃げて逃げて逃げ続けた大包平が、「撤退する!!!!!!」って吼えて全振り連れて帰ってみせる。あまりにもかっこよくて、常識外れなまでに光だった。

 

 

刀ミュはいつも予想を遥かに超えてわたしたちを驚かせて来るけど、意地悪なミスリードを張ってきたことはないと思う。
だからもし今回明かされた設定の中で裏切る箇所があるとしたら、多分それは『山姥切国広は”お前”が折れる瞬間を見たわけではない』という点。もし目の前で力尽きていたのなら、今ここにいられるはずはないので。

「お前に会えるのは、もう少し先になりそうだ」
そしてこの言葉が出た以上、山姥切が”お前”に再会できる未来はもう確定していると思う。

 

 

流れた瞬間鳥肌が立った。
刀剣乱舞』の使い方として、史上最高の域だったと思う。

 

見せかけの色も香も俺には不要
虚飾は要らない 人斬りの刀だ近寄るんじゃねえ
覗き竜キュートだろ?俺は旅人
本当のオレは恐るべき男 触れれば斬れる……にゃ!

感じるか 真の力
越えてみせるぜ 去り行く時代を

 

今作には選ばれぬもの、瑠璃色の空、夢語り、はなのうたのような全員で歌い上げる、想いを一つにする曲が全くなかった。
大包平の言う通りずっとばらばらで、土壇場まで統率が取れない。いつも隣にいるはずの相方を、水鏡を欠いた我の強い連中の寄せ集め。
そこに「『全員』で帰還する」という隊長の檄からの刀剣乱舞が劇的に効く。本当に本当に本当にかっこよかった。

 

阿津賀志の義経主従から幕末天狼傳に始まりここまでずーーーーーーっとニコイチ推しであることを隠そうともせず、半座を分かつ存在がいる心強さと優しさを描き続けてきた刀ミュが、本気で"個"のかっこよさを描くとこういうことになる。

たとえ相棒がそばにいなくたってお前は自分の足で歩けるし、決して独りにはならない。

 

部隊の進退を決めて号令をかけるのは大包平だけど、行くぜエエエエ!!!!って何度も何度も鼓舞して全員の背中を押すのは和泉守。

 

散々言葉を並べてきたけど、和泉守兼定を形容する上で『かっこよくて強い』以上に相応しい言葉は存在しないし、要らないと心から思う。

 

オレは見た花の散る様を だから強くなるのさ

泥に塗れてやる 俺は俺の道行くだけだ

 

どいつもこいつも満身創痍でぼろぼろで今にもぶっ倒れそうな『刀剣乱舞』が、どうしようもなく眩しくてアツくてかっこよかった。

 

 

桜田門外の変

 

  • 『14th (one-fourth) son』

The man was born in a little castle
when the tree dyed red.

小竜が綴ったのは井伊の赤鬼でも朝敵でもなく、ただの彦根の十四男坊の記録。

そして桜田門外の変もまた、ノイズの響で結ばれる物語だった。

 

Did your flowers fall
without blooming?

本来の史実を辿った井伊直弼は、あの「おっさん」ではない。おっさんはもうどこにもいない。けど南泉が覚えていて、小竜が記録に残している。
一緒に食べた蜜柑の花を手向けて永遠を誓う姿を見て、やっぱり江水散花雪は愛のお話だ、と思った。

 

小竜が倒れた瞬間。息が止まるかと思ったけど、同時に少し安心した。恐らく本意ではない形とは言え、決して自分のスタイルを崩さなかった小竜が、本当は全然大丈夫じゃないって仲間に晒せたことに。

既に一度崩れたことのある和泉守を除いて、新たに出演した5振りは全員どこかで一度膝をつく。
そうした時にformation of 江水散花雪はぎゅっと寄り添って支え合うチームじゃない。肩や手を貸すだけ、発破かけて叱咤するだけで、そこから立ち上がるのも歩くのもお前だ!!!!ってところが何よりもかっこよかった。
その中にあって和泉守兼定は普段身内の刀の面倒を見たり見られたりしているために担いであげようとしては突き飛ばされてるわけですが……

 

冒頭で「お前を隊長と認めた覚えはないにゃ!!」て言ってた南泉が、「隊長に続け!!!!」「しょうがねえにゃあ!!」って楽しそうに着いていくのが本当に良かった。
”無い戦いちもんじ”は失われ、本来持っていた縁起の悪い”無い銭”の物語が戻ってくる。

 

しっとりしたラストシーンに突然幕末ヤンキーぶっこんでくるのやめていただけますか カツアゲすな
でも土壇場の時の真っ直ぐさに対して、この普段の少しひねた姿勢と優しさも、幕末の刀たちの愛さざるを得ないところだと思う。

それを受け入れた山姥切国広が笑って零した「どいつもこいつも」。
あまりにもずるい幕引き。
止まっていた山姥切国広の物語はここからまた始まる。
設定上は古参でもわたしたちにとっては現れたばっかりなんだから、まだこれからいくらでも活躍してくれなきゃ困る。

 

 

降りしきる雪の中、並んだ役者たちの真ん中に座っている井伊直弼を見て、やっぱりこの物語は井伊掃部頭の生涯を描いたものだったんだと感じた。

千秋楽後に発表されたキャスト一覧。
今までもアンサンブルの方々が名のある歴史上の人物を演じることはあったのに、こんな風に全てが明記されるのは初めてのことでした。『町人』も『その他』も全て、さながら芝居番付のように。
作中で叫んだメッセージをこんな風に他の芸能と繋げてくるところが粋でにくい。

 

 

 

 

「好きだから」
「お前を超える」
「お前が嬉しいと俺も嬉しい」
って選ぶ言葉が飾らなすぎる江水散花雪に特効を食らい続けた公演期間でした。
新撰組虎徹の刀はもちろん全部訊く・全部答える精神を備えているけど、そこにはそもそも『何も言わなくても伝わる』関係値が存在した。
でもばらばらの場所から集められたこの部隊ににまだそういうものは無いから、だからこそ理解しようとするから、輪をかけて爽快豪速球コミュニケーションになる。勘弁して

 

直に物語がつながっているわけではなくとも、やっぱり江水散花雪は幕末天狼傳と結びの響の直後に来るべき物語だったし、この作品に出会ったことで2作のことがもっと大好きになってしまった。
有澤さんと、新撰組5振りの中で”Pale Blue Green”を背負わされた和泉守兼定こそが、ただ一人の既存で先輩で出陣する意味があったんだなって全ての場面からひしひしと感じた。
あまりにも圧倒的すぎる「「「「かっこよさ」」」」の暴力で目が眩むような公演でした。

大千秋楽のカーテンコール、ずるかったね。
ばらばらの集団が、最強で最高の仲間たちになれたこと。始まった頃は雪がちらついていたのが最後には花が咲きだしていたこと。本当に大変だったこと。
全部が絶対に忘れたくない、鮮烈に美しくて楽しかった思い出になってしまった。

 

幕末天狼傳には未練がありすぎて、未だに振り切れないものばかりです。
でも今作を通じて、大変なことだらけでも終わりを見届けられて、ようやく何か少し浮かばれたような気がした。
決して忘れたくはないけど、少しずつ亡霊でいなくてもよくなるのかもしれない。

1年半前の千秋楽の時は、あとどれだけこの和泉守兼定に会えるのかわからない、次に本公演に出てくれることがあるのかもわからないって毎日泣いてたけど(思い返すとギャグ)、今は当分和泉守兼定でいてくれるはずだし、まだ本公演でやらなきゃいけないこともあるはずだって思えてとても精神が安定しています。

ミュージカル刀剣乱舞のことがきっとずっとずっとずっと大好きなんだと思うし、だから最後まで見届けたい。美しく終わる時まで、あの本丸の物語を目に焼き付けたいと思う。

 

わたしは刀ミュのことを知れて幸せです。だいすきだよ。

 

 

 

 

 

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*1:以蔵の辞世の句「君がため尽す心は水の泡 消えにし後は澄み渡る空」