こんにちは。
季節の変わり目で心身ともに不調をきたしまくり、果ては高校時代ぶりにインフルエンザに罹って絶賛隔離中です。みなさんもお気を付けて。
6月13日に名古屋で終幕した舞台セトウツミの感想です。
例によりちまちま編集したり放置したりしてる間に円盤が出てしまいました。えーんいつもこうだ~
もう本当に本当に楽しかった。
プレイハウスストレート!!!!
ありまきダブル主演!!!!!
陽キャの有澤と陰キャの牧島!!!!!!!!!!(失礼)
こんなん楽しくないわけがない…………ってハードル上げに上げて臨んだのに、その遥か頭上を飛び越えていく仕上がりに度肝抜かれた。
今でもまだあの夢みたいな3週間のことちょっと信じられないままでいる。
ここが好き(主にキャスト)
樫村さん・ハツ美ちゃん役、佐藤日向ちゃんのお芝居が毎公演本当にすごかった。流しても問題ないような微細な相手の変化を拾って面白くするのが上手すぎる。
「早生まれタイプやなあ田中真二~?」「探偵田中真二や!」の日替わり(?)はもちろん、前髪ディスられた後は内海くんの肩叩くのが強くなってたり、瀬戸はアレやもんな!に鎮痛な顔で頷いてたり、隙間でいちいち挟む芝居がおもろすぎて目が離せなかった。
個人的に一番面白かったのが、大阪楽だか前楽だかで瀬戸くんが初めて階段から降りずに「俺ほどの高みにおる~」を言ったときに、それより更に上の段へ上って「評価するわ」を言ったところ。笑う通り越して感動した。
原作読んだときはハツ美ちゃんってもっと得体の知れない策謀家的なキャラクターに感じたけど、日向ちゃんの仕草だったり勢いだったりのお陰でかわいくて聡明な高校1年生、恋する乙女の側面が強く表れている気がしてめろめろになっちゃった。中1で瀬戸くんの良さに気づくのすごくない?めちゃくちゃ見る目あるよ
瀬戸くんのことそれなりに馬鹿にしてるけど、「全てが好き」って言えるのすごいよね
田中くん すげーよ まじで
ありまきの間に挟まれるのがちゃんと95年組の納谷くんな時点で嬉しかったんだけど、それを抜きにしてもあまりに達者で逆によくこの人材が都合よく95に存在したな!?!?!?運命だよ
原作の田中くん回はほぼ無表情で内面でだけべらべら喋ってるまさに”シリアスな笑い”という感じだったのが、その内面が具現化することでとんでもアクロバティックなギャグになってて死ぬかと思った。一番鮮やかに印象に残るのは垂直跳びだったと思うけど、カートゥーンみたいな表情の動き方とか「……知ってしまったのです」の手の掴み方とか「窓から捨てました」の動作とシルエットとか。そういう随所に入るアクセントに自分の体を操るセンスをバッッシバシに感じる。
さっきも書いたハツ美ちゃんとの攻防が大好き。二人のセンスの高さがなきゃあのシーンの緩急は生まれなかったと思う。
ラストシーン、内海に歩み寄る瀬戸くんを後ろから見ていて、自分も行くかどうかだいぶ長いことうだうだ逡巡してからやっぱりやめるのが好き。少なくとも田中くんの方は二人のことを自慢の友達だと思ってるんよ……
あと一番の兼役お疲れさまでした。ヨシエ原作のビジュアルと全然違うけどかなり好き。
優ちゃん、姉弟であることを示すにあたって表情や仕草より「声のトーンと話し方を寄せる」というアプローチに感動した。確かに……家族ってそうだよな……と思って………
しかもそれが本当に似てる。「サブウェイのオーダーか」「ところで天使って何?」が過去の内海の台詞と重なっていることに気づいたのは舞台を観てからだった。
毎地方楽のたびにバルーンの冠が豪華になってたこと、名古屋では全方位盛られてチョウチンアンコウみたいになってたことが忘れられない。あの場面で視覚で笑かしてくるのまじでずるい
そして内海家の低くて淡々としてて少し皮肉っぽい声のトーン・女の子と吉田ちゃんの高音が同じ人の喉から出てるのほんとに凄い。声と演技の幅が広すぎるしめちゃくちゃうまい。
お父さんのモラハラ毒親特有威圧感の解像度が異様に高いよ~~~~~~~~こわいよ~~~~~~~~~~😭😭😭
原作と違って窓越しで「想くんに罰を」とか言い出すそれはもう人でなしな自分に酔ってるだろお前!!!!レベルの描写がなくなっている分の、『実在する毒親』質感が本当にキツい。フラッシュバックする人とかいるんじゃないかなと思った。
「何してんのかなあ?」の抑揚の付け方がさ、台詞じゃないんだよ。説教の延長線上にある恫喝そのまんま。
髪引っ掴むまでのスピード感とかもう何もかもが怖いし嫌だしそうであればあるほど内海くんは小さくてかわいそうでとてもいいシーンだった……(???)
わたしは原作の「お父さんはお父さんなりに愛しているつもりだった」エンドに割とハァ❓と思ったタイプだったので、そこが描かれなかったのも逆に清々しかった。
実際どっちの方が内海くんにとって救いかは本人が知らされない限りわからないけど、どうせ呪いのと二者択一なら思う存分憎めた方が健全だよ。
来てくれた友達に「お父さん役の人あの最後の数分のためにいるんだね~ww」と言われて一瞬考えてしまったんだけど、意味がわかって爆笑した。あれがバルーンさんだったとは思わん。それはそう。
バルーンさん、悪い間の取り方がめちゃくちゃ上手かったところが大好き。瀬戸と内海の会話の中にも混ざると微妙~~~~にそれまでのテンポを阻害されて、確かに仲良しなんだけどあの間に挟まるにはあらゆる意味で不自然な異分子なんだということが耳だけで聞いててもわかるの凄い。
こうだったらよかったのにな
舞台は大きく見て内海視点にまとめられてたけど、瀬戸もあの河原と内海のこと大好きなんだって伝わる件がもう少しだけピックアップされてれば良かったのになーとは思った。具体的に言うとアルコールとドラッグ・ひとつとしあわせ・「おもろいかおもんないかや」をどっかにねじ込んで欲しかった(わがまま)
まあそんなん敢えてエピソードを挟まなくても滲み出てるって言ったらそれはそうなんだけど。
あと最初の樫村さんが初対面みたいに自己紹介する件は必要だったのか?とも思う。他のキャラと違って名乗りパートがないから入れざるを得なかったのかもだけど、微妙な矛盾とか違和感の原因になってる気がしてちょっと引っかかる。
元々家族ぐるみで付き合いあるから色んな内海情報で瀬戸くんにマウント取れるのに。好きな子にライバル視されてる瀬戸くんがおもろいのに。それだけ気になりました。
瀬戸と内海、または有澤と牧島
観てる間の感覚が素の2人のトーク聞いてる時とほぼ変わらなかった。これに尽きる。
役に徹することができていないという意味ではなく、台詞ではないただの会話を聞いているような気がしてくる。テンポが気持ち悪いところも故意や演出以外で滑るとこも全くない。というか一部のくだりはまじで2人の会話で丸っきり聞いたことがある。ある程度成功した2.5ならほぼ言われる「演者がキャラクターそのまんま!」の精度が半端ない。
原作や映画やドラマの瀬戸と内海がもっとローテンポ・ローテンションで淡々としていたのに比べれば、舞台の2人はかなりテンションが高かった。だからと言ってキャラ崩壊・勢いだけで笑わせるようなことにはなっていないから、逆にセトウツミってテンション一回り上げて読んだらありまきになるんだ………みたいな角度の納得をさせられる。
・「みんなそれなりにそれぞれ不幸やから」
瀬戸くんと内海くん、運命的な出会いと出来事によって親友になったのではなく、たまたま成り行きで出会い、何となく馬が合い、それぞれの意思であの河原にいるから大好き。
ケンカ・タンカのパートを観てると特にだけど、17年間両親に愛されるためだけに生きてきたのに。それならどう考えても特進行った方がマシなのに、それらと1年かそこら瀬戸と河原で過ごした時間が内海くんの中で釣り合っちゃうのすごいなって思う。
2人ともほんのり現状に絶望してて、行き場所もない状況でわずかに残った自由を使ってあの河原で「暇潰し」するのを選んでることが途方もなく好き。風邪でも勉強でも部活でも、数え出したらあそこに留まらない理由なんていくらでもあるはずなのに。それでも2人で暇を潰すのは意思だし、そのささやかな抵抗が愛しい。
傷を舐め合うでもなく、ときどき少しだけ開示してみせては茶化して、でも無視はせずおもろい返しをしてくれる相手がいる。練習にも勉強にもならない、何の経歴にも残せなくても、2人の心にとって確かに必要な時間って、青春そのものだと思う。
恋文の途中までノリノリだったのに、「全てにおいて僕は、内海に劣っていると人は噂しています。」から明らかに声硬くなる内海くん。最初は前向きな言葉で励ましてサッカー部復帰促そうとしてたのに、瀬戸くんが望んでここにいるわけじゃないって思い込んだ瞬間突き放す方向に切り替えてしまう内海くんが本当に好きだった。一度しかない瀬戸の青春と人生を自分が食い潰すわけにいかないと思ってる、その世界と視野の狭さが………
傍から見ている分には2人は互いにいたくて一緒にいるのが一目瞭然なのに。先に話しかけて勝手に居着いたのは瀬戸の方なのに。周りからは内海が瀬戸を河原に縛りつけてるように見えるんだなあ
原作予習した時からずっと言ってることだけど、内海→瀬戸が羨望でスーパースターなのに対して瀬戸→内海は嫉妬と劣等。映画版は特にそこがフォーカスされてて好きだった。
でも10代の友人に抱く感情としては瀬戸の方がよっぽど平凡で健全。その極端で異質でともすれば重くなりそうなところを「何がいけないんですか?」って真顔で言えちゃうのが瀬戸だし、そうやってみんなが特別扱いしてくる中で「普通」の友達をやってくれる瀬戸だからこそ、内海の光になり得る。
「あいつを巻き込むわけにはいかない」、言葉通りの意味でもあるけど、瀬戸を自分の罪のアリバイにすらしたくなかったんだなあと思う。
・「お姉さんが思ってるより人って自由ですよ」
仕草でも表情でも台詞回しでも有澤さんのボケ方・笑わせ方・ふざけ方・ぶっ込み方etc.あらゆるセンスが何より大大大大大好きなのに、それをこんなに浴び続けられる演目って他にない。ずっとトロ食べてる気分
事前にビジュアル見たり原作読んだりしてる間は別に有澤さんのこと瀬戸くんに似てる!!!とは思ってなかったんだけど、無表情の立ち姿だったり、ふっと目を眇めて顎上げ気味に遠くを見る表情やその雰囲気がめちゃくちゃ瀬戸くんだ……と慄く瞬間が何度もあった。
有澤さんが今までに様々な光の男を演じてきたからこその実績と記憶、演じる2人の関係値と空気感とエピソードが、目の前で瀬戸と内海に重なる。
優ちゃんから内海の話を聞いているときの瀬戸くん、「取り返しのつかないことになりますよ」まで指示通りに喋りながらもどんどん顔が険しくなっていってたのは果たしてどこまで話を理解できてたんだろうか。全部実感とともに台詞を吐いていたのかもしれないし、話が難しくて着いて行けなくてあんな顔になっちゃったのかもしれない。そこの判別がつかないところも含めて特異なキャラクターすぎる。
でもハツ美ちゃんが沸点を超えてから、一度俯いて少し考えた後ふっと表情が柔らかくなって、「人って自由ですよ」と言うのを見て、ああ光だ、と思った。
そんなに思いつめること?ってくらいあっけらかんとした顔で、内海も優ちゃんもずっとできなかったことを簡単に思いついて提案しちゃったような無邪気さを見て、このタイミングでこの言葉と表情を出せるところが、この物語の登場人物がみんな(樫村さん以外)瀬戸小吉に惹かれる所以なんだろうな、と思った。
物語において光側とされる人間って本人の意思と別で勝手に周囲が救われたり渇いたりしてしまいがちなところがある。それはもうそういう理である、というように。
でも今までに観て来た有澤さんの演じる役は、展開に都合のいい『機構』としてではなく、その性質の傍らにちゃんと生きた愚かさも醜さも優しさも作りこまれているところが大好きだと思う。
そこまで9.9割漫才だった中で「お前に相談するくらいだったら自問自答した方がマシ」って言われて、明確に傷ついた顔をしていた瀬戸くん。引き出した吐露にも「勉強ばっかりしやがって」ってひねくれたことしか言えないのがまだ幼くて、その幼稚さが好きだった。
物語の終着点はあれだけど、瀬戸くんだって内海に相当寄りかかっていたはずだし、内海がいなければサッカー部に戻ることはなかった。辞めてからの1年強の過ごし方も心境もきっと違うものだったはずなんだよな。
ギャグや掛け合いはぶっちゃけ観るたび慣れていってしまう中で、回を重ねるごとに深く刺さるのは踏んだりと蹴ったりだった。
「帰ってから話し合おう」のあと、後ろの3人がはけていくお父さんを目で追ってる中で瀬戸くんだけが自分に背を向けた内海くんから目を逸らさず、涙を拭い終えたタイミングで話しかけに行くのが大好きだった。
いつもの調子でしょうもないボケを言ってツッコませて、「ログインボーナスみたいなん」で内海くんがようやく口角上げたの見てから立ち去ってて、ああ笑わせたかったんだなって思った。
「あいつは紛れもないスーパースター」
「誰やねんお前」「割とこっちの台詞でもあるぞ」に一緒に過ごした時間が答えを出したことを大好きだと思う。
出会ったときと同じ構図で振り返った世界が、瀬戸くんを中心に色付いていく。夕暮れから夜へ鮮やかに染まっていく空を観ながら毎回泣いていた。
瀬戸くんって多分本当は本当に何も考えてないのかもしれない。内海の事情を知って何かしら行動したいと思ったとしても、それは「救いたい」なんて大それたものではなく「励ましたろ」くらいの素朴なものだったかもしれない。
それでもあのやわらかい優しさが内海くんには鮮烈で、泣きたくなるほどあたたかかったんだから、それが全てだと思う。
どの公演もどんな微細な変化も忘れたくないけど、絶対に記憶に刻み付けておきたい公演を一つ選ぶとしたら大阪3日目、6/11の昼公演。
それまでもいつも通りに面白かった中で、最初に違和感を感じたのは恐らく『ガッブーとパッカー』だったと思う。
瀬戸くんの演技が突然前のめりになり始めて、それまで付いていなかった仕草やニュアンスが増えた。少しテンションが高いくらいだったのが他の2人に伝染して、会話のテンポも少しずつ速くなるように感じた。楽しそうだな、ノってるのかなくらいに思ったそれは『ふわといと』に入ってからも持続して、その辺りで明らかに「違う」と気づいた。
いつも最後まで聞いていた内海くんの台詞を遮って、一回り大きく低い声で威圧的に話して、明らかに苛立っていた。そうして場に残された内海くんが始めた独白は声も手も震え通しで異様だった。
その常軌を逸した没入をぶち破るように、傷付けられて憔悴しきった内海くんの言葉と呼吸の間に、「言うたれ内海!」が真っすぐに響いた。
偶然なんかじゃなかった、と顔を上げた内海くんが、最後に振り返るまでの一連の動作は突き動かされるようだった。
スーパースター、という言葉がこんなにも似つかわしい存在は他にないと思った。
周囲の俳優がコメディに出ているのが羨ましくて、いつか全力で客席を笑わせにかかる有澤さんが見てみたいなあと思っていた。
それがまさかここまでハイレベルで良質なものをお出しされるとは思ってなかったから、本当にびっくりするし嬉しい。いつだって有澤さんはこっちの希望も予想も遥か飛び越えて行ってくれる。
観客からも制作サイドからも、そして本人たちも何度も口にしていた「あまりにも瀬戸と内海そのまますぎる」というフレーズ。
考えれば考えるほど有澤さんは瀬戸で牧島さんは内海だったし、この2人が同い年で、ギャグもシリアスもキラキラもやれる役者同士として出会って仲良くなったのも、その時代にセトウツミって作品が存在して2人がそれを好きだったのも、全部が奇跡だと思わざるを得ない。あの脚本が当て書きではないことに未だに新鮮に慄く。
絶対に2人が主演だったからこそ成り立った作品だったし、もうこのコンビを超える瀬戸と内海は現れないだろうって無責任に確信している。そうしたら大楽の挨拶で演者もそう思っていると知れてすごく嬉しかった。
解禁当初まだこの演目が2人発案だと知る前、「役者先行で原作選ぶなよ……」という感情が全く湧かなかったと言ったら嘘になる。
でも本人たちが「自分たちがやるならこれ」と選んで、そうして実際出来上がったものを目の当たりにして、現実に仲の良い人たちが親友同士を演じるからこそ生み出せるものってこんなにも大きいんだと思った。
もしもコロナ禍、界隈で様々な自主企画が立ち上がらなければ。色んな順序やタイミングが違えば、全く違う時期に違う箱で他の原作付き演目と同じように初対面同士の俳優が舞台版セトウツミとして板に立っていた世界線もあったのかもしれない。わたしはそれに出会うことも関心を持つこともなかったのかもしれないと思うと、すごく不思議。
後にも先にも面白すぎて大喝采が起こる舞台なんてもういくつも現れないと思う。
僅かな表情や仕草、言葉の間以外日替わりと言える要素は何もなくて、それでも全公演あんなに大ウケしてたのは本当にすごい。
観に来てくれた友達全員が腹抱えて笑った!良い芝居観た!うちの推しもこんな舞台やってほしいって口揃えて言ってくれて、それって作品にとって一番名誉で幸せなことじゃないかと思った。
3週間があっという間で、終わってしまってもしばらくは実感が持てなかった。でも再演や続編が欲しいかと言われるとそれもちょっと違う。
ただ、もう少しだけあの時間が続いてほしかった。
そんな時間と場所を具現化してくれてありがとうございました。