黄ばんだ紙切れ

【編集中】夢の向こう〜TXT vol.1 「SLANG」

こんにちは。

一体いつの話をしてるんだ。本当にそう。

やばい!公演終了から1年経っちゃった!!とか言ってたら終幕どころか円盤出てから1年経ちましたね。

 

ようやくアップにこぎつけましたが、びっくりなことに実はまだ書き終わってません。ですがこのまま永遠に眠らせておくのもな……と思ったので書き上がってる部分だけで一旦公開することにしました。編集中のところは書き上がり次第追加します。思い出した時にでも見ていただけると喜びます。

 

私が有澤さんを推すに至った作品です。それまでも推し呼ばわりはしてたけど、この観劇を経てそれまでの私は死んだので。SLANGを初めて観た日が私のオタクの始まりの日です。*1

感想や考察ではなく妄想とこじ付けの煮凝りだと思って読んでください。自分でももう何考えてたのかよくわからん

f:id:yamanomine:20201009172326j:image*2

 

 

 

 

 

現実の中の虚構、虚構の中の現実

舞台と観客、現実世界、夢の世界、事実と真実、嘘と作り話と思い込み。

いくつもの現実と虚構が紡の狂乱や舞台設定演出やメッセージや色んなところでごちゃごちゃに繋がって混ざり合った、ひどくしつこい枠物語だったなあ、と思ってます。

 

現実と虚構の交錯

イントロダクション

 

そこは現代か、それとも近未来か。
誰もが個人チャンネルを持ち、
睡眠時に見る夢を世界中に配信できる世界。
日夜、ユーザーに様々なジャンルの夢を公開する
『夢人』たちがいた。
睡眠時間すらも有効活用される世の中。
人々は好きな夢人を登録し、
同じ夢を共有し、夜の快楽を求める。

公式サイト"INTRODUCTION"より

 

これを事前に出されたら、観客は「これが『SLANG』という虚構の中では現実なんだな」って思うじゃないですか。あらすじってそういうもんだから。夢人も夢枕も実在しないんかい!!!!
まさかの虚構の中でも虚構。作中でもそんな技術は発達してなくて、全部紡の作った文字通りの夢物語。そんなことある?

開幕前のインタビューでも「YouTuberみたいな感じ」「グルメリポートとかする」とか言うから……いやもう全然嘘。

でも視点を夢人たちに置けば、これも『現実』とも言えるんですよね。彼らは紛れもなく紡の夢の中で生きていたので。

あの物語の住人にとっても、紡の頭の中にしかない夢人カンパニーの話は全て虚構。でもその中で生きている夢人たち自身にしてみれば現実。
そして『SLANG』を観ている私たちからしたら、作中現実世界にいるとされていた紡たちもまた虚構の存在。

 

役者とキャラクターの年齢・経歴

公演当時の有澤さんと和田さんがそれぞれ23歳と33歳で、事件が起きた時の紡と櫂も同様。*3

バクは夢人としてデビューして5年。有澤さんもちょうどデビュー5年目に入るところでした。

正確に数えるとズレはあるけど、数字を合わせてきたのはわざとだろうなと思います。

 

巨大な本を模したセットとその演出

夢と現実、2つの異なる世界がどちらも一緒くたに同じ一冊の本の上で繰り広げられるということそのもの。

 

そしてラストの演出。

開幕からずっとゴリゴリ映像使ってたのが、最後の最後に第4の壁ごとぶち抜いて「生」の風を思いっきりこっちに届けてくる。それによって、夢も現実も全部ひっくるめてこれが『TXT vol.1 SLANG』という虚構だったってことを強制的に頭に叩き込まれる。

糸の切れた夢人たちはカクンと崩れ落ちて、スポットがついた瞬間『SLANG』のタイトルが照らし出される。でも手には確かに崩れた「言葉の本」の切れ端があって。

イントロダクションも、そこまでの設定演出・台詞にキャスト陣の演技も。あらゆる角度から観ているものをあの世界に引き摺り込んで没入させてさせて、

最後の最後に「これは『SLANG』という"虚構"だ」って突き付けて外の世界に弾き出す。極限まで現実と虚構の境を曖昧にして、あれだけ眩しくて醜くて鮮やかな世界に呑み込んでおいて。

紡や櫂や伊都の痛みをリアルに感じれば感じるほどに、エンディングに打ちのめされる。

残酷で最高の構造だったなと思います。

 

 

現実と真実

「現実」と「真実」は別なんだよなっていう話。

 

夢の中で繰り広げられる物語は、
ただの作り話なのか、
それとも、現実なのか。

現実と虚構、異なる物語が交錯し、
思いがけない真実の世界へと繋がっていく。

 

何が「真実」かは見る人間によって変わってしまう。言葉と同じように。

 

「その本に書かれているのは、現実の中の真実だけ。嘘偽りのない。……僕の小説とは真逆の」

 

登場人物が各々携えた「本」こそが、価値観やアイデンティティ、その人間にとっての「真実」の象徴だと思います。

伊都は自分の目で見た事件について綴った『自分の本』、
櫂もまた自分の目で見た真実だけが書かれた『真実の本』、
有栖川と牟田は六法全書らしき『法律の本』、
筧は真っ赤な『事件の捜査手帳』、
茨木は『精神医療の本』、

紡は小説を書くための手帳と、頭の中の『言葉の本』。

 

「確かに私たちは同じ『本』を持っている!」

「しかし言葉の解釈が違うんです」

 

現実はただ一つ、「町野櫂はナイフで胸を刺し自殺した」。でも有栖川からすれば、「新堂紡が町野櫂をナイフで殺害した」ことこそが真実。何故なら彼にとっての真実は物証と証言、法律という秩序に基づいたものだけだから。

 

「俺を、憐んでるんだな」


紡にはそんなつもりは無かったから、紡の側からすればこの台詞は真実じゃない。櫂の被害妄想と思い込み。でもその虚構に押し潰されて櫂は死を選んだ。
櫂にとっては「希望も叶わずやり甲斐も果て、前途ある弟分に憐まれた」、それが真実だった。

伊都が紡を恨み、呪い、罵倒したのが「現実」。
でも伊都の叫びに紡は救われた。それが2人の「真実」。

 

夢の中で繰り広げられる物語は、
ただの作り話なのか、
それとも、現実なのか。

 

現実を逐一反映する夢は本当に夢なのか。

自分にとっての真実が現実と食い違ってしまったら、それは果たして作り話なのか。

思い込みやすれ違いが原因だったら、傷付けられた心はなかったことになるのか。

 

実際にも起こりうる誤解や齟齬、認識のズレ。

「言葉の溢れる今の時代にこそ」っていうのは、まあそういうことだよなと思います。

 

真実と夢

愉快カラフルハッピーかわいい夢人カンパニーが大好きです。全員紡が生み出した虚構の存在なんですね。はい。

全員が紡の頭の中にしかいない、紡の一部であり紡にとっての真実を反映する存在。

つまりこの夢人たちそのものこそ、紡の『本』に当たる。詳しくは紡の項目に書いてます。

 

それぞれ夢と対応してるところを見つつ各キャラクターについて考えたことを書きます。

 

茨木有希人/ヨチムジン(編集中)

不眠症とか予知夢の意味、紡にとってヨチムジンってなんだったんだろうな〜って話

茨木先生って一人だけ執着するものが言葉でも真実でもなくて異質だったなって話

 

 

新堂紡と筧流司/バクとレム(編集中)

筧と紡って似た者同士だしレムって多分紡自身だったよねって話

 

 

町野伊都と町野櫂/オネムとムネオ(編集中)

これは想像ですが、多分事件時点でこの兄妹の関係って壊れてたんだろうなと思ってます。

基本的に良い子だと思われる伊都ちゃんの、冷めきった「今更会ってどうするの?」からあの段階での櫂の状態がどんなだったのか窺い知れるし、もう絶縁同然だったのかなと。
でもそんな関係性になってたのに死んでから「そんなこと出来るわけないでしょ!?家族だよ!?」とか言っちゃうのがなんと言うか、あまりにも……今更手を伸ばしたってもう手遅れなんだよな……

 

それなのに、夢の中でのオネムとムネオは喧嘩ばかりとはいえ精々じゃれあいの範疇。この辺りも紡の楽観とか無神経さが滲み出てたのかなあ。

 

 

町野櫂と新堂紡/ムネオとバク

そしてその家族にすら見放されてた(決め付け)櫂。

ジャーナリストになりたい櫂は単身山梨に移り伊都とは離別、それを反映して夢の中でもムネオは"真実の報道"を求めて独立し、コンビは解散する。

ジャーナリストの夢を叶えたくても叶えられずにいた櫂を自分の夢の中で真実を報道しようと燻るムネオに据えた紡、まじで最悪だな……

 

世界の真実を追い求めた櫂と、虚構の世界を作ることを選んだ紡。櫂は上手くいかない自分に絶望したけど成功に進む紡にその姿は見えていなくて、まだやり直せると信じ切っていた。

同じ現実に相対してもそれぞれに違うものを見ていた、とにかく最後まで噛み合わなかった男2人。

櫂の自殺の原因は、紡のその「何にもわかってなさ」にもあったかもしれない。

 

「この森には『かえりたい』と思ってる奴が集まってくるんだ」

「俺も、かえろうかな……」

「?、………確かにこの森いい景色」

 

紡にはこの森でボランティアを続けて生きていくくらいの意味に聞こえたかもしれない。

でも櫂の想いは違った。食い違いは文字通り致命的で、4年前と様子の違う櫂をどうにか励まそうとした紡は、不用意にその選択肢を肯定してしまった。

櫂にしてみれば、言葉には精通しているはずの弟分にすら自分の苦しさも虚しさも伝わらない。呼吸のし辛さを誰とも共有できない。

同時に、やっぱり自分には人に何かを伝えるなんて無理だと確信してしまった。

 

櫂の年齢ってはっきりはしてませんがさっきも書いた通り「30代男性」だったわけで。新しく何かを始めるのに決して遅いことはないけど、伊都とか紡に比べれば結構年上。

自分はどうしたってジャーナリストになれなくて、何にもできないままずっと苦しくてかえりたくて仕方ないのに。小説家とかいう自由な夢を叶えて(大学だって卒業してるくらいの歳なのに伊都が「楽しみにしてる!」しか言わない辺りから想像するに)、未来キラキラなずっと年下の若者に「信じてます!頑張りましょうよ!!」とか言われたら……そりゃ心も折れるなっていうか……

 

紡は最後までどうして櫂が死んだのか分かってない。何なら櫂自身だって本当には分かってないと思います。

それゆえに歯止めも効かず、あるはずのない殺意を探してあらぬ方向に突っ走ってしまう。

櫂の死を反映し、仕事に遣り甲斐を持ってたはずのムネオは自殺に見せかけた他殺で命を落とす。紡がそう思ってるから。でも無罪判決が下されたことでムネオの死はドッキリに成りかわる。

現実と真実のズレで心は摩耗して、紡に都合の良い夢の世界は思い通りに動かなくなっていく。

櫂の心が死んだことで、紡の心も死んでしまった。

 

虚構の世界と現実の世界、違う側面から現実にアプローチして、どっちも心を壊して自分を殺していった男たち。……世界に向き合うのがド下手くそすぎる………

この事件って要は櫂と紡の後追い心中だし、伊都ちゃんが完全に巻き込み事故でかわいそうすぎるんだよな……

 

 

新堂紡/バク

先にも書いた「本」の話。

登場人物の中で紡だけが本を2つ持っています。

小説を書き留めていた赤い表紙の手帳、頭の中の『言葉の本』。

どちらも他の「本」と比べると明らかに異質ですが、この2つは実質同じものと考えて良いかなという気がする。

 

その理由ですが、紡の小説ってあの夢の世界を元にした作品だったんじゃないかと思っています。

バクやゴズメズが夢人としてデビューしたのが5年前、紡と櫂が夢について話してる回想シーンが4年前(紡19歳、櫂恐らく20代後半)。で紡が創作を始めたのは高校時代。多分明晰夢を見るようになったことが創作を始めるきっかけだったんじゃないかなあ。

 

「その本に書いてあるのはシナリオ、物語。つまりそれは台本だ」

 

手帳に書かれた小説=紡の夢。そして夢の内容は、『言葉の本』を台本として操られている。

 

「この本は物知りだ。意味・語源・由来、言葉の全てを知っている」

 

「ぜひ一度先生にも見せてもらいたい」

「無理ですよ」

「その本があるのは、ここですから」

 

豪語する内容とは裏腹に、どう見ても薄っぺらすぎる『言葉の本』。

フィクションに対してこう言うのもなんですがそもそも「言葉の全て」を集めるなんて無理な話。

 

劇中で言葉は色んなものに喩えられます。
秩序、自由、心臓、凶器。
言葉は人によって姿を変える。だからこそ余計に、「言葉の全て」なんて知りようがない。

「意味・語源・由来。言葉の全てを知っている」、夢人バクの一番の商売道具。例えその通りだとしても、逆に言うならこの本に意味や語源や由来を持たない言葉は載っていないことになる。

説明し難い人の想い、理由のない行動、存在しない殺意。

 

さっきも書きましたが、紡はあの若さで既に小説家としてある程度の展望を得ていたんだと思います。

そんな紡にとっての言葉はまさにナイフみたいなもので、きっと無意識のうちに「自分は言葉の全てを知っている。想像・創造力に語彙、巧く扱う表現力もある自分が、使い方を間違えるわけがない」っていう根拠の無い自信を膨れ上がらせていた。

だから、家族すら見捨ててた櫂に対して「俺が会って説得すればなんとかなる!まだやり直せる!」って無邪気に会いに行けた。自分の言葉が他人を傷つける可能性にあまりにも無頓着すぎた。

そして紡に、櫂の言葉の真意は読み取れなかった。

 

「あるはずなんだよどこかに……!」

「心の奥底にある、殺意の正体は一体何だ!?」


少し文字に起こした言葉だけで自分の言語の万能性を信じ込んでしまい、生身の言葉の強大さに気付けなかった。自分は思ってるよりずっと未熟だってことを、櫂の命でもって突き付けられた紡。

罪の意識と同時に積み上げてきた自信が崩れ去って、自分を見失うのに耐えられなかった。

そして確固たるものだった言語能力への自信に揺らぎが生じたことで、段々夢と現実の区別が付かなくなっていく。

首を吊ったのはムネオなのに、櫂の殺害方法と間違える。夢の中のバクが「俺の夢を壊さないでくれ」と口走る。自分で本が好きだと話したのに、ヨチムジンに『言葉の本』を奪われる夢を見た後には本なんて嫌いだと言い出す。

遂には境界が完全に壊れて、現実世界に夢人たちの姿を見始める。物語の登場人物たる夢人たちは夢の世界が作り物だと気付いてしまう。

 

「君の口から出て来るのは台本に書かれた台詞だ……君はバクという役を演じているに過ぎない」

 

「なんだよお前って!……自分の言葉が何にもねえんだな」


『言葉の本』は意味や語源、由来、そんなものはいくらでも知ってるかもしれない。でもその知識は紡のものじゃない。紡から生まれた言葉ではない。

 

「その言葉も台本かァ!?」

「台本じゃない!!!」

 

台本なんですよ。実際。

バクが喋る言葉は全部、有澤樟太郎が読み上げる台本。

バクの言葉は全部『言葉の本』に書かれている中から調べて選んで発しているに過ぎなくて、そこに人格はない。彼が繰り広げるのは存在しない2000万の視聴者の前で誰かが綴った言葉をなぞるだけの空っぽなショーで、本を取り上げられた彼は一つの言葉も発せない。そしてその『言葉の本』すらも、紡が創り出した架空の存在。

仲睦まじい恋人も、尊敬し信頼する友人も、小説家としての輝ける未来も持っていた。

でも、自由で優しい虚構の世界を創り出すことは出来ても、紡は何にも持ってなかった。

罪の意識とアイデンティティ崩壊のダブルパンチで狂乱する紡。

 

「僕の夢を返せ!!」

  

『言葉の本』はバクの商売道具。紡の心の拠り所。

目を背けずに向き合えば、殺意なんて「どこにも書いてない」ことが分かってしまう。 だからずっと「誰かが持ってるから見つけられない」って思い込んでいた。紡が思い込んでしまえば、紡が操る夢の世界に本は現れない。

 

「お前本当はもう気づいてんだろ?探してる本が見つからねえのは誰のせいでもない、自分自身の問題だって!!」

「お前が本気で見つけようと思えば、本はすぐそこに現れる」

「本を手に取れ、目を背けんな!」

「どんな言葉か知らねえがなあ、答えはそこにあんだろ!!」

 

ゴズに事実を叩き付けられたことでようやく目の前に現れた『本』は最早本の体裁を為してなくて、勿論殺意の正体なんてどこにも書いてない。

 

このシーンのバクの演技が観る度大好きでした。
「どうしてだ!!!どうしてないんだ!!?」って信じ難い、受け入れ難い事実に癇癪起こしてるような時もあったし、ぽろぽろ零れる「ない、ないよ……ないよォ…………っ!」って呟きが、泣き出しそうな子供の駄々みたいに聞こえる時もあった。
自分の空っぽさを前に、ぐちゃぐちゃに壊れて暴れまわって蹲る紡がどうしようもなく惨めでちっぽけで、遣る瀬無かったです。

 

パンフを読むと「これは紡とバクの成長の物語」ってことが書かれてるんですが、初めはどうにもそれが信じられませんでした。バクが死んだことで紡の心も完全に息絶え、物語が終わったと思っていたので。

でもラストシーンで「これはただの夢だ!」「こいつはもう夢の作者じゃない」って明言されてるし、紡はちゃんと夢の世界から引き摺り出されたんだと思います。たとえバクが殺されても、それは最早紡の死とは繋がらない。

 

紡は夢の支配権を手放し、自らカウントダウンを終わらせた。紡が目覚めることで長く続いた物語は終わり、作者の意図から解放された夢人たちは糸の切れた人形のように倒れ込む。

でも生きている限り必ず夜は来るし、紡は眠らなくてはならないし、また夢は始まる。

紡はどれほどあの自分に都合がよくて、サイケデリックで優しい虚構の世界を愛していたんだろうと思うとつらくてたまらなくなります。
夢の作者でいる限り毎晩絶対にあの世界が紡を抱きとめてくれるけど、ふとしたショックで境目がわからなくなるリスクも常に隣にある。支配権を手放せば自分の力で現実世界と立ち向かうしかなくなるけど、それが出来ないうちは永遠に成長できない。

物語はあそこで終わっても、紡の人生は終わらない。加えて終わらせることは伊都と櫂が許してくれない。

 

「その言葉はお前が刻め、紡!」
「紡の物語、楽しみにしてるよ」

 

そう考えると、やっぱりSLANGは紡とバクの成長の物語だったんだな……と思います。
これ以上ないくらい周りも自分も傷付けて心と命を擦り減らして、確かに紡は成長した。

夢の世界から引き摺り出されて伊都が彼におはようと声を掛けたとしても、紡がその事実を受け止め現実の世界にきちんと向き合うかどうかは分からないし、成長したからって幸せになれるとも限らない。何せ物語はあそこで終わってしまっているので。
それでも、自分を抱き締める伊都の手の温もりに気付いて産声を上げたあの紡なら、きっと這いつくばって血と泥に塗れたままでも生きていくんだろうなと思います。

 

 

「SLANG」

劇中、タイトルの通りいくつものスラングが使われていました。「バズる」みたいな一般的なネットスラングから「ゴズる・メズる」「ドL」みたいなオリジナルのものも山ほど。

 

SLANG(スラング)とは俗語の英訳。
特定の職業・年代・環境・趣味を
共通にする集団でのみ通用する
隠語・略語・俗語。

公式サイト"INTRODUCTION"より

 

ラストシーンで伊都から紡にぶつけられる恨みつらみの言葉。あれらも全部『スラング』だったんだと思います。

 

「あんたが殺したんだよ、私の兄を」

「許せない」

「なんか言え、夢になんか逃げてないでなんか言ってよ!!」

「一生忘れんな!!生きて苦しめ!!ずっと苦しめ!!!」

 

そのままに受け取ってしまってはわからない、本人たちの間でしか伝わらない、憎しみの形をした、溢れるほどの愛の言葉。

言葉は人によって姿を変える。同じ言葉が激励にも凶器にもなり得る。

紡が心から言った「頑張りましょうよ!」「信じてます!」が櫂を殺したように、伊都が言いたくなかった「許さない」「生きて苦しめ!」が紡を生かす。

涙を堪えて「紡を…助けてください、……!」って救いを求めたのに、与えられた唯一の方法は自分が紡を赦さずに恨んで呪って罵倒すること。
でももしこの時の伊都が筧に止められることなく、或いは制止を無視して「恨んでない、紡は殺してない!」「許すよ!」って言ったらどうなってたかと思うと肝が冷えますね。

 

「見つからない、探したって見つかるわけない!!」

「どこにもない、どこにもない……!」

「うああああああーーーーーーッッッ!!!!」

 

求めていたはずの言葉、櫂への殺意、櫂を殺した理由とは正反対の伊都の言葉が、紡を救う。

最後には言葉の体裁すら失って、紡が伊都の手を握り返し、叫びに叫びで応える。それは多分紡の産声でもある。
例えどんなに掻き集めたって言葉は余りにも無力で、この世には言葉なんかじゃ表しきれないものが山ほどある。でも同時に言葉は人間が、紡が思うよりずっと強大でもある。
伊都は紡に「紡が持つ言葉の無力さ、残酷さ、それでも言葉を紡がなければならない責任」を突き付けた。それは多分、言葉を愛してそこに自分の価値と自信を見出してた紡にとってアイデンティティをぶっ壊されたも同然。

言葉にならない言葉。でもそこには確かに意味があって、意思がある。二人をぐちゃぐちゃにした『言葉』を全部取っ払って、ようやく二人は繋がることができた。伊都に否定され救われることで、紡そのものを呑み込みかけた明晰夢は終わる。
OPテーマが再び流れて、バクと紡は共に夢から解放されて自由になる。一度心が死んだ新堂紡は新しく生まれなおす。

そこまでして紡をこの世界で生き永らえさせる理由。
多分紡を生かすことは、紡だけじゃなくて伊都の贖罪でもあったんだと思います。
櫂は現実も自己の矮小さも受け入れられずに死んでいった。伊都はその弱さを分かっていたのに疎んで見捨てた。紡をその二の舞にするわけにはいかない。だから伊都は紡を憎まなくてはならない。
伊都に罵倒されて否定されて罪を背負いこむことで紡の心は救われたかもしれないけど、もう2度とあの二人は手を取り並び立つことは出来なくなってしまった。紡の心を守るために。

 

伊都役の井上小百合ちゃんもパンフで言ってたことなんですが、多分今後二人が恋人で居続けることは出来ない。でも離れて他の恋をすることもきっと出来ない。
それでも、後の人生を一緒に歩めなかったとしても。目を覚ました紡に真っ先に「おはよう」と伊都が言えたら、それだけで二人の関係は救われるのかもしれない。
紡は伊都の怨みの言葉を抱えて生きていくしかないし、伊都は苦しくても紡を最期まで見届けるしかないんだと思います。

思いのままに操れる夢の世界を失った紡には、もう小説も書けないかもしれない。

それでも伊都が「楽しみにしてる」って言ったからには、書き続けなければならない。生きて言葉と向き合い続けなければならない。

二人の命は夢の向こうにもずっと続いていく。

 

って考えてとりあえず納得したけど、紡と伊都が普通のカップルとして普通に結ばれて幸せな未来を歩むことはもう絶対にないんだな……
紡を救うことはできるかもしれないけど幸せにすることはもう誰にもできないんだよ……は?なんなんだよ…………
やっぱり救いで祈りで呪いだ

 

 

 

 

✳︎

 

ここまで散々喋りましたが、円盤の特典映像で和やかに話す俳優陣を見てたら「何言ってんだろうな……」って急に冷静になりました。好き勝手言いすぎ決め付けすぎで怒られそう。ごめん。
まあでも私はこう受け取っちゃったし、蒟蒻問答でも私には私の感じたものが全てなのでね!

 

 

初観劇の日、客電が点いても座席から動けなかったことをずっと覚えてます。

情報量と熱量に心臓を思いっきり握り締められて直に脳味噌揺さぶられたみたいで、鳥肌が立っておさまらなくて。終盤周りには泣いてる人もいたけど、全身が凍り付いたみたいで一滴も涙は出なかった。

握り締めた心臓を最後の仕上げだと言わんばかりにぶっ刺した、「い゛ぃーーーーーーち!!!」の声と浴びせかけられた爆風に固められてしまった。

とんでもないものを観てしまった、凄まじい作品が生まれる瞬間に立ち会ってしまったっていう気持ちで頭が痺れて、観劇しに来た客でいたつもりが『共犯者』にされてしまった気持ちだった。

 

事前の会見でも「ラップバトルみたいな」って言われてた台詞回し。

書き出して気付いた、普段あまりに自然に使ってるせいでそれがスラングだと思ってすらなかった言葉の多さ、マシンガンみたいに飛び交う「その間でしか真の意味が伝わらない『隠語』」。

何しろミュージカル大好き人間だけど、絶対にストレートプレイでやることに意味がある作品だったんだと思います。

音楽の力も踊りの力も借りられない、そのまんまの形の「お前の言葉」に向き合え!そのナイフで人を殺して救って動かしてみろよ!!って言われているような。「言葉」というものの重さ、儚さ、残酷さ、力強さをこれでもかって詰め込んで胸倉掴んでぶん殴って抱き締められるような、そんな舞台だと思いました。

 

SLANG、何より眩しくて混沌としてて遣り切れなくてサイケで猟奇的で切なくて醜くてみっともなくて美しい舞台でした。

この作品が大好きだった。

はじめの理由は「推しが出てるから」「推しの初主演だから」だったけど、それを抜きにしてもあの舞台にあのタイミングで出会えて、ぶん殴られて本当に良かったなあと思います。

ずっと大事な作品です。

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談

(全部余談だよ)

  • OPの話

ブログタイトルの元ネタです。初見時OP曲かっこい~と思って観てたら流れ出した歌声が完全に有澤さんでひっくり返りました。

七回繰り返される「ラッパ」は登場人物それぞれが吐く虚構と、響かせる終末の合図。

黙示録のラッパ吹き-Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E9%25BB%2599%25E7%25A4%25BA%25E9%258C%25B2%25E3%2581%25AE%25E3%2583%25A9%25E3%2583%2583%25E3%2583%2591%25E5%2590%25B9%25E3%2581%258D

 

  • 「目に民」

これこそ流石にこじつけもいいとこだなとは思ってるんですが、

「目に民で”眠る”なの!?」

「お前の目を潰して一生眠らせる!」

のくだり。

 

ねむる。ねむり。ねむい。ねむたい。死ぬ。
民ミンは、目を↑型の針で突いくさま。もと逃亡を防ぐため、目を見えなくした奴隷のこと。眠は「目+音符民」で、民の原義を残した字。目がみえない状態となってねむること。瞑(目が見えない)はその語尾が転じた語。民

紡の支配から解放され、思うままに操られることのなくなったゴズとメズの報復かなあと思ってます。

 

  • 押し花

倒れたバクの上に本のページがめくれて重なっていく演出、初見時「押し花みたいだなあ」って思って見てたんですよ。そしたらまさかの、本当に表紙が閉じて圧し潰されるっていう……

命を綺麗なまま閉じ込めて、生きながらにして殺す、押し花。でも栞として挟んであればまたいつか物語の続きが始まる。

 

  • 信用できない語り手

この舞台って登場人物全員気が狂ってるじゃないですか(言い方)。そしてその中で唯一病んでも壊れてもいなさそうなのが伊都。 

でも櫂が見えてる時点でだいぶおかしいじゃん???

それこそ最初にあらすじ通りの近未来SFならそのくらいのファンタジーって気もするけど、実の所はゴリゴリに社会ドラマじゃん????

 

よく考えたら、櫂の幽霊が伊都の幻覚じゃないとは誰も言ってないし誰も証明できないんですよね。

牟田と筧は受け入れちゃったし茨木先生は面白がるからあやふやになっちゃったけど、法廷で問い詰められて「兄が違うと言っています!」て叫べちゃうのだいぶやばいと思う。そりゃ有栖川もキレる。*4

 

もし伊都の思い込みだったとすると、幽霊の櫂って紡が作り出した夢人たちと同じようなものかもしれない。
櫂が言うことは全て伊都が抱えた無意識の感情の発露。

 

「この事件にはもう関わるな」
「俺があいつを殺した……」
「こんなのは間違ってる!」
「紡を許してやってくれ……」
「もうやめてくれ!!!」
「紡目を覚ませ!!!!」

 

本当は全部伊都が言いたいことで、全部伊都の思い込み。

な気もしたけど他のこと考えるのに上手く繋がらなくてノイズだったので隔離しました。じゃあ町野櫂ってどこにいたんだよ

 

 

本当におしまい。

 

 

 

*1:まあ今オタクできてないのでオタクじゃないんですけど

*2:気が触れたオタクスロット

*3:事件が平成29年、紡は平成6年生まれ、櫂は名言されないけど30代

*4:机バアン!!!!叩く有栖川めちゃくちゃ怖くて大好きです